2009年11月30日月曜日

石 神無月廿四 大入れ 碌

快晴。石屋さんの方も順調に進んでいるようです。Posted by Picasa

石 神無月廿二 質

朝の愚図ついた天気が、昼頃から晴れてきたのも束の間、行者が森の向こうに太陽は消えた。Posted by Picasa

2009年11月27日金曜日

鎌研ぎ橋

音羽川沿いを 牛尾(音羽)山に登る山道に入って、一つ目の橋。この橋の前、数百メートルのところに白石神社の鳥居があり、そのあたりから、夏場でも一気に気温が下がります。深い山から急な流れで冷たい水を運んでくるのでしょう。橋の名前は「鎌研ぎ橋」とあります。田舎の家では、鎌をよく研いだことを思い出します。以前に山を降りた家主さんから、夕焼けには鎌を研げなんていう諺を教えてもらいました。鎌を研ぐというのは稲刈りのことで、夕焼け、夕鳶などは、明日が晴天になることだそうです。この橋の由来も、稲刈りに関係のあることなのでしょうか。紅葉の枝が障害のない橋の上いっぱいに懸かっています。
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2009年11月25日水曜日

石 神無月 九日 山

台座の製作中。天場の面を作って、大入れ(臍入れ部分)、蓮華細工のボリュウム作りまで2時間ほど見学させてもらって、作業工程を教えてもらったので、また、後日、アップしたいと思っています。
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2009年11月5日木曜日

長講堂



後白河法皇所縁の長講堂は、この春に京都に来て二三日目に訪ねたお寺。大きな牡丹の鉢植えが、本堂正面の石畳の上に置かれていて、傍の小さな蓮池とそれに掛る枝垂れ桜が、とても印象に残っています。

石 長月 廿八 荷

火輪の反りをなくして、丸三角四角が、より分かりやすくなっていた。





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2009年11月1日日曜日

石 長月 廿四 桟

音羽の沢に懸かる木々が、大きく撓む。三間ほどの川幅を行ったり来たりする猿の親子である。親猿は、4,50キロはあるだろうか、川の中ほどに懸かる細い枝がびっくりするほど曲がっている
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2009年10月28日水曜日

北野天満宮 梅

三光門の傍に殆ど葉を落とした枝振りの素晴らしい梅がありました。昭憲皇太后から送られたものだそうです。

 春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず、春はやがて夏の木をもよほし、夏より既に秋はかよひ、秋はすなわち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まず落ちて芽ぐむにはあらず、下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり。迎かふる気、下に設けたるゆゑに、待ちとるついで甚だはやし。

                     徒然草 第百五十五段より
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映画 「冷たい水」

みなみ会館で、アサイヤス監督の「冷たい水」を観る。少年の父親が、問題を繰り返す息子と話し合う場面冒頭に、有名画家の画集を開いてルーブルにある「聖母の死」の場面の解説をします。溺死した娼婦を聖母のモデルに使っていると受け取りを拒否されたこと、画家は決闘で人を殺して逃げたので弁明の機会も与えられなかったこと、聖母の傍らで片手で目を覆い、もう一方で首を抑えるイエスの弟子の悲しみについて話します。映画の中間部、バッコスの祭りのような、少年少女のパーティーの場面では、レナード コーエンからアル クーパーに繋ぐところなど、とてもいい感じでした。
 「NOISE」を見逃したのが悔やまれます。
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2009年10月27日火曜日

石 長月十日 鉢

今日は暖かい。昼前に夏のような雨が降る。それでも5時前には行者が森に日は沈み、南中する上弦を過ぎた月が見えた。
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2009年10月26日月曜日

北野天満宮 地主社 参

雨降る朝に天神さんへ、境内で、もっとも古くからある神さんのお社回廊に眠っている猫を見る。熊谷守一さんの絵を思い出して、独歩の「武蔵野」に紹介された熊谷直好の短歌

 よもすから 木葉かたよる 音きけは しのひに風の かようなりけり 

は武蔵野の冬の村居のときだったかなと、植生は異なっても四国の山家を懐かしく思い出します。
 独歩とも親しかったのか、柳田さんに熊谷氏とお稲荷さんの関係について書いたものもあったな。猫と狐とお社と秋雨でなんとも怪しい気持にもなります。
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2009年10月25日日曜日

新居浜 中須賀太鼓台その弐

新居浜でいつもお世話になる、イシグロさんからメールで18日の一宮、拝殿周りをする太鼓台の写真を頂きました。山門、巨大な楠の森を橇で貫けてきて、左奥に見える大江太鼓台の挑発に乗らず、3トン近い太鼓台に指揮者、枝掃い、太鼓で10人近い男を乗せ、太いところで30センチ近い担き棒4本に男たちが取り付いて、指揮者の笛の合図で「そおら えいや えいや よいやさ」の掛け声で担ぎあげます。それから、太鼓がゆっくりしたテンポになり「ちょおさじゃ ちょおさじゃ」と掛け声も変化しゆったりと進みます。
 4年前に新調した中須賀の飾り幕で、高欄幕は謡曲「海士」で有名な物語をモチーフにしています。竜王に奪われた面向不背の玉を、藤原不比等と交わった海女が一子=房前を儲け、その相続を約束して、一人、海中の竜宮からその身と引き換えに玉を取り戻す話です。
 地歌
親子の契り 朝潮の波の底に沈みけり 立浪の下に入りにけり

 太鼓を担き棒で、担きあげ打ち鳴らす祭りは、瀬戸内海、大阪湾、紀伊水道、豊後水道の沿岸に広く行われていて、おそらく海上民の活動範囲と一致するのだろうと思います。私の里のほうでも、戦後しばらくは、「まてつき」と呼ばれる、マテガイを採りに来た船団が湾内に集まって停泊し、そのシーズンをその船の上で女子供を含めた生活をする光景があったようです。このような、海上民と深い関係をもったと思われる中世に活躍した海賊の、小舟を巧みに操り、離合集散する動きを、今に伝えているのが太鼓台、中でも豪華な装飾とその巨体を誇る新居浜の喧嘩太鼓は、不測の事態に備えて指揮系統の組織がしっかり整備されていて、太鼓の速度の変化、掛け声のバリエーションなど、まさしく、瀬戸内の覇権を争った平氏と源氏の合戦図を彷彿とさせるものがあります。
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2009年10月23日金曜日

石 長月六日 鉢

久しぶりに石工さんを見る。仕上げに入って、角を整えたり、曲面の調整をしていました。空輪や水輪の形について尋ねると、空輪については、釣鐘型から先端部を押し込んだような一般的なものに変更したとのことで、水輪部については下膨れ型で、火輪との結合部が細くなりすぎるようなら有頸にするそうです。石工さんは、重源上人の作られた火輪は正四面体、水輪は球、地輪は正六面体というような五輪塔を石で製作したい様で、そのイメージと、一石切り出し、および石という条件から、行き当たりばったりで作っているとのことでした。空いた時間で好きなことをさせてもらっている会社への感謝もあるけど、「パンコロ」=廃材にはできない責任は目の前の石に対して強く働くのだそうです。
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鞍馬 火祭

10月22日、鞍馬の火祭。山門前に街道中から集まった松明。しこを踏むような独特の歩行で、手松を持った組頭を先頭に、鉾と幟を先頭に付けた三本の竿を持った三人の締込をした逞しい男たちが続き、三人四人がかりで担がれた中松明、大松明は火の粉を落とし、かっぽう着を着た女も叩く太鼓に合わせて「サイレイ サイリョウ」の掛け声が街道の、上下から二台の神輿の待つ山門へと集まってきます。道中、火を熟知した鞍馬の民によって調整される火が、ここで立ち上げられ大きな炎となって立ち並ぶ光景は見る者の日常を揺さぶって余りあります。この後、二台の神輿が御旅所まで御幸して戻ってくるのですが、駅で1時間近く待って乗る叡山電車の時間もあり、今回は見ることができませんでした。
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2009年10月18日日曜日

新居浜_中須賀太鼓台

大江浜に向かう中須賀太鼓台。今年は大江太鼓台が出場停止から復帰して、喧嘩太鼓の役者が揃いました。朝の大江浜では、待ち構える大江に先制され防戦一方。午後の一宮神社では拝殿周りを済ませた、その流れで中須賀が挑発する大江に攻めこみましたが、上手く防がれ一進一退の攻防が続きます。途中、端の下がった状態で突っ込み、逆に高欄を破られるが、怯むこと無く張り合うところなど、さすが中須賀といったところでしょう。それでも、終始、棒端を挙げ続けた大江の方が一枚上手のようでした。恐るべし大江太鼓台。

2009年10月16日金曜日

鞍馬 由岐神社 宵宮祭

本殿前の石畳を挟んで、右に羽織袴の町役衆、左に手松を持ち裃を付けた組頭が対面しております。本祭りを私は見たことがないので、なんとも言えませんが、大変な見物を集めるそれと違って、内輪での質素で、また厳かな儀式を見ることができました。近頃は、あらゆる地方で伝統と銘打った観光産業が盛んになり、伝統の形骸化といったような弊害もあるように思われますが、京都は観光の歴史が街の歴史のようなもので、祇園にしろ原初の祭りの形態からは甚だ逸脱したような要素がふんだんにあり、見物との関わりが大きく影響しているようです。それでも、形骸化とも言えるような観光化が、年を重ねることで充実した中身になっているように感じられるのが京都だとも思います。確か、柳田國男さんの本に、現在、といっても大正昭和のころでしょうか、前夜祭のように扱われている宵宮と呼ばれているものが、祭りの本体だというようなことが書かれていたように思います。詳しくは思い出せませんが、お葬式のお通夜のように御籠りとか参籠といふ徹夜の奉仕、すなわち「御側に居る」がマツラフでこれは祭りと語源を同じくしているということだったと思います。肥大化し装飾化する表面は今日のような「祭り」を守るためのシェルターなのかもしれませんね。
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2009年10月14日水曜日

再び 栂尾

今日も、のんきに高山寺へ。金堂の脇から峰山に登る登山道を見つけるも、険しい山道に途中で断念。帰りに正門のほうへ下りると、石碑があって、見ると懐かしい署名。大正二年造だから、石に直接書いたものなのでしょう。先日、四国からの帰りに小豆島の二つの岬を眺めながら、その向こうにある寒霞渓の山並みを遠望して、鉄斎さんを思い出したばかりだったこともあり、初めて見た鉄斎揮毫の石碑に感無量。
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高松 牟礼 白羽神社御祭り

10月11日、牟礼浜ちょうさ。宮入り後、旧庵治牟礼線を北上して自治会館へ。向こうに見えているのが五剣山。左端、東の峰は江戸時代の地震で崩れたそうです。この山の東、ちょうさが向かう先に庵治石の帳場あって、付近には多くの石屋が集まっております。この道を挟んで屋島があります。
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石 葉月廿五

四国の祭りから、帰って一夜明け。秋晴れの山科へ。小山の白石神社の幟が挙がっていました。五輪塔のほうは、締める作業に入ってきたとのこと、火輪(笠部)を細い鑿で丁寧に角や底を出す作業中でした。
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2009年10月12日月曜日

大角鼻灯台

大正2年設置。写真で岬の手前、東側に風の子(かのこ)島があります。

地蔵崎灯台

別名釈迦が鼻

2009年10月10日土曜日

石 葉月廿二

音羽川へ。帰り支度の石工さんに頼んで、写真を撮らせてもらいました。電動工具を使っていないとのことで、使うことと使わないことの違いについて尋ねると、作業時間の短縮による生産効率が上がることが大きいと前置きしながら、階段を二段三段と先へ先へと飛び越えて上ることと、一段一段足元を確かめながら登ることは、結果的に一緒でも、間違えたりして戻りたい時などに、一段なら戻ることができるが、二段、三段と跳び降りるのはとっても難しいし、危険でしょ、とおっしゃっていました。また、電動工具があって、はじめて発見された石の表情もあって、それを素敵に使いこなす彫刻家もありますよとのこと。
 子供のころに、親から、ゆっくりよく噛んで食べなさいと言われたことを思い出します。
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2009年10月9日金曜日

栂尾

台風一過の秋晴れで、栂尾へゆきました。高い木立の中を潜るように登ってゆくと明恵上人の御廟があります。写真は御廟へ上る石段。参道に沿って流れる小川の脇に泉を囲った祠が見え、近くの石塀や大木の切り株の上には重ねられた小石の群れが。上人の座る姿を思い起こさせます。
 上人伝はまだ読んでいません。小林秀雄さんの講演筆記か何かの文章で、紀州の島にある石に、手紙を書いた人だということが記憶に残っています。手紙を書くことも、石や木の股に座ることと似ているのかもしれません。遠く隔たった何かに思いを寄せる時間が必要なのでしょう。石のように充満している白い紙の上を、インクの染みで汚し続け、石に向かってお辞儀をしたり、重なったりを重ねることしかできないのかもしれません。上人の遺訓「あるべきようは」には石や小鳥のようにあるようには暮らせない悲しさがあるように思われます。
 籠の中の鳥は自由なんだと、鈴木大拙さんが仰っていたことを、思い出します。唐突の感がありますが、昨日までの入れ物の話と今日のことを合わせて考えるとこういうことになってしまいました。この言葉に、引っかかる人は私も含めて多くいるように思います。大空を舞うことのできる鳥が動物園の折の中にあったり、また自分自身がカフカの小説の主人公のように、嫌疑をかけられて捕えられたりするとしたら、嫌な気分にならないはずがありません。嫌疑が正当か不当かなんてことは関係なく、捕えられることは、自由がなくなるのだから嫌だと、誰もが思うことで、だからこそそれが刑罰として長い歴史を持っているのでしょう。 少しお酒のせいで、話があらぬ方へ飛躍しそうなので、これも講演の受け売りですが、保坂和志さんが話したことが、このことについて、よくわかったような気にさせてくれたので、うる覚えで失礼ですが、少し紹介します。保坂さんは、プロのサッカー選手を例えにだして、グランドの中で最も自由に振舞うことのできる、または振舞っているように見える某ブラジル人選手は、ボールの自由に最も忠実な、あるいはボールの自由に身体が自動的に働く状態にある選手だというようなことを仰っていました。含み話のようで、申し訳ありませんが、私もよくわかっていないことで、これから少しずつでも、言葉を重ねてゆきたいと思っています。
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2009年10月8日木曜日

ツルソバ

確かツルソバといったと思う。四条大宮付近の街路樹の根元に群れ咲いていました。
 
このところ富岡多恵子さんの「釈迢空ノート」を図書館で借りて読んでいます。神戸の震災のころ大阪の大国町のあたりに暮らしていて、折口さん所縁の土地だったことを思い出します。その当時、松浦寿輝さんの本で紹介されていた折口さんの「石の中にいで入るもの」という文章を読み、盆や彼岸に墓石に向かって、語りかける姿の不思議に思い当ったことを覚えています。あの中身の充満した石が、何ものかの容器の役目を果たしてきたことは確かなことなのでしょう。そして、おそらく石に向かう経験を人間は必要としてきたのだと思います。今は大量の情報が一方通行でやってきて、対応に忙しい私は、もうその理由を思い出すことができないけれど、もう一度、少しずつでも考え始めることができたらと思っています。
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2009年10月7日水曜日

石 葉月十九 己丑

奥の一石五輪塔を製作中とのこと。この写真では分からないが、手前の生け込み灯篭と仕上げが異なっています。
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音羽川

台風の近付く雨が、昼ころから強くなりだしました。まだ、それほど水嵩は増していないようです。
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イヌタデ

イヌタデ、別にアカマンマとも言ったと思う。前に、ニワノホコリという、これも平凡な雑草を愛した西脇順三郎さんの本で英語名がpeachwortだったことを思い出す。
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